Cordiellas-introduction

2013年春、何も考えずに詰めまくった結果、歪な形に膨張するだけ膨張してしまったバックパックを背中に載せ、フィリピン北部、ルソン島の山岳地帯に辿り着いた。目指す土地はコルディリェーラ。
「天国へ昇る階段」という、ツェッペリンのかの有名曲みたいな比喩で讃えられる棚田がある場所だ。
この場所に特に強い因縁や想いがあったわけではなかった。高尚できらきらした取材のイデーも、ストイシズムと直結するようなジャーナリスト精神も何一つ持って来ずに来てしまった。ツェッペリンだって詳しい訳じゃない。むしろ殆ど何も知らない位だ。ただ、丁度精神的に少しだけ疲弊していた時期に、偶々ここがあった。心が少しだけ不安定なバランスの時に、偶々ここが本かなにかで目に留まった。それだけの話だった。

だけども山道を2時間は下り、漸く辿り着いた風景には恐怖感すら覚えた。多くの時間僕はただただ呆然と立ち尽くしていた。ちょっとした思案に耽ることすら出来なかった。
「畏怖」という、これ見よがしに恐れきっている感が出てるような熟語が、その時の感情を表現する言葉としては相応しいし、それをこの場所に当てはめる事が、そこを訪れた異邦人としての振る舞いとして礼儀にかなってる様にすら思えた。

「大自然の存在を認識することで人間の卑小さが露になる」といったような言説はもう既にパッケージング化され、スーパーマーケットに整然と陳列されていてもおかしくないぐらい手垢の付いたものになってしまった。だけれども、人が手を加えた自然に別の人間が畏怖を覚える、という体験は、少なくとも自分にはその時まで一回も無かった。
そして今この文章を書きながらそれも既に4年前になったことに気付く。改めて畏怖ということについて考える。この年齢を迎えた。自分も決して若くはない。まだ自分はそんな感情を生み出すことが出来るのだろうか。と。